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江田館

                            2015. 6. 15群馬県太田市新田上江田町にある江田館は上江田城とも呼ばれ、中世の武家屋敷跡を利用し戦国期に城郭化した城と云われている。屋敷を構築したのは新田義重の孫・得川下野守頼有であるという。14世紀には新田氏庶子の世良田氏さらにその庶子である江田三郎行義の屋敷となっていたようだ。江田行義は新田義貞の鎌倉倒幕挙兵に従い中国・四国まで転戦してい...

小泉城

                            2016. 6. 19群馬県邑楽郡大泉町にある小泉城は延徳元年(1489)冨岡主税之介直光が縄張りしたことに始まり、以後冨岡氏6代、約100年余の居城として栄え、威容を整えたものである。現在の城跡は小田原北条氏の傘下に入ってから改築されたものと考えられる。城の形態は平城で本丸、二の丸、三の丸から成り、中心部は回字型をもつ囲郭式平城の典型で県内でも有数...

鶉古城(うずらこじょう)

                            2016. 6. 19群馬県邑楽郡邑楽町にある、多々良沼に突出した「荒間崎」と呼ばれた半島部に築かれた城である。城名については葵下坂といわれた幕府御用鍛冶康継二代の弟が、この地に住み脇差に「鶉古城打」という銘を残しているところから江戸初期、すでにこの名称が使われていたものであろう。城跡西南端に当たる入口の道路付近から、半島部を横断するように北に向かっ...

館林城

                              2016. 6. 19群馬県館林市にある館林城は、城沼を自然の要害とした平城で、別名を「尾白城」という。その形態は城沼を城の東側の外堀とし、この沼に突出する低台地を区切って本丸、二の丸、三の丸、八幡郭、南郭を置き、これを取り囲むように稲荷郭、外郭、惣曲輪を構え、更にその西方の台地に城下町を配置し、その全てを土塁と堀によって囲んでいた。築城時期や築...

保渡田城(ほとだじょう)

                                   2016. 6. 12群馬県高崎市保渡田町にある保渡田城。上野侵攻を進めた武田信玄により永禄9年(1566)9月29日箕輪城は落城、信玄は箕輪城代を浅利信種としましたが、永禄12年の三増峠の戦で戦死、後任の内藤昌豊は保渡田砦を改修して居城、西上野支配の拠点としました。その昌豊も天正3年の長篠合戦で戦死、養子の昌明が箕輪城代となりますが、...