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尾引城

                            2015. 12. 13


築城年は定かではないが、この地を治めた横尾采女正の城として知られている。横尾采女正は応永7年(1400)信濃守護の小笠原氏と国衆たちとの間で起こった大塔合戦に祢津氏の配下として参戦して勝利を収めている。その後の戦国期には村上氏に属して上田原の合戦にて武田軍を破るが、采女正自身は討死している。

その後真田幸綱の調略により武田方が村上領を圧迫していくと、幸綱は晴信(信玄)からこの地を宛がわれ、それ以降、尾引城も真田の属城となったようだ。


なるほど。というわけで、行くべぇか。


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至れり尽くせりの城案内・・・だが、駐車場が無いのが痛いところだ。仕方ないので入口の横に路駐した。


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12月なので藪は無いよね・・・なんて甘いよね。。


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遊歩道を登って行くと、これでもかこれでもかと現れる腰郭たち。


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上の方には段郭の標柱がある。


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その反対側には、石積みの標柱もあって微かに石も透けて見えるが、写真を撮るほどでも無かった。


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その上は、鳥居のある頂上・・・かと思いきや、ハズレでした。


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もう一段、上があったのね。。


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両隣には、新しげな祠があった。


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登り切ったところで、ここが正真正銘の主郭だ。


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そこで今来た道を振り返って見る。


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眺めもいい感じだね。


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この辺りでよく見かける木の案内板だ。


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中央に盛り土があるけど、主郭中央を隠す為の蔀土塁ではないかとの意見もあるね。。


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西側には下へ降りる階段があるけど、かなり急だな。下の標柱には虎口とあるね。


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主郭の北部分は土塁が盛られているが、この石積みは神社を建てた時のものだと思われる。


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さて、土塁上から下の三重堀切を眺めてみる。10m程の落差があるので、それも加味して素晴らしいの一言だ。


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土塁上にある社に一礼して先を急ぐ。(当日6城行くつもりだった・・・が訳あって叶わず)


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先程の西にある階段を降りて堀切の方へ向かう。


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うーむ、思いのほか浅く感じるが、長い年月の間に埋まってしまったのだろうね。


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そこから主郭を見上げてみる。


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少し離れて、もっと浅くなった堀切がある。標柱がなければ、私のような者の眼力では見落としてしまいそうだ。


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その先は細長ーい尾根が続いているが、どうやら切岸加工されているようだ。


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尾根道は小ピークを迎える。


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どうやら、ここが出丸という事のようだ。北部分には土塁が盛られている。


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その背後は堀切となっていた。


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堀切を降りて振り返って見たところ。


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更に少し進んで振り返って見た。尾根道はまだまだ続いていたが、城域も終わりとなったので、帰路に就いた。







駐車場は無し。登山口近くの邪魔にならない場所に路駐した。
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