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戸石城

                            2015. 12. 13



築城年は不明だが、真田氏の外城として築かれたのが始まりとされる。その後、信濃埴科郡を領する村上氏により小県郡・佐久郡への侵攻の重要拠点として大改修されたようだ。

天文17年(1548年)2月の上田原の戦いにおいて武田晴信(後の信玄)は、村上方に敗れはしたが、同年7月の塩尻峠の戦いで小笠原氏を駆逐し、松本一帯を制圧した。それから2年の時を経て再び村上領に侵攻し戸石城を攻めるが、激しい抵抗をうけ攻めあぐねているうちに撤退時機を逸し、村上本隊に襲撃されるという2度目の大敗を喫したのである。これが世に言う戸石崩れだ。

しかし、その翌年に武田の家臣となっていた真田幸綱(幸隆)の調略戦により戸石城を奪取、村上領の牙城を崩すことに成功したのである。この功により幸綱は戸石城を含む真田郷を与えられ、念願の旧領復帰を果たした。

武田氏滅亡後の天正13年(1585年)上野国沼田郡・吾妻郡を巡る争いから徳川家康と、真田昌幸との間で第一次上田合戦が起こる。その時、戸石城には嫡男の信幸が入り、徳川軍の撃退に成功している。

更に時を経て、1600年の関ケ原の戦いの折には西軍に与していた真田昌幸・信繁(幸村)父子は、中山道を西へ進む徳川秀忠軍を上田の地で迎撃している。この際東軍に属していた真田信幸は、秀忠から戸石城攻めを命じられ、信繁の籠城する戸石城に向かうが、真田同士の潰しあいを嫌った双方の承諾により無血の明け渡しが行われたという。


そんな歴史上でも有名な・・・戸石城。。。ワクワク


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真田ファンなら、ドキッとするような案内板だね。。正直、足が震えた。。


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専用駐車場に車を置いて、坂道を上って行く。


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すると、なんじゃこりゃーと叫びたくなるような門が出迎えてくれる。


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門を抜けて完全に整備された登山道を進んで行く。


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途中で左を見ると米山城の頂が見える。


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すると、真正面の頂が砥石城なんだな。それにしてもこの砥石という名称は出丸の名称がそのまま城の名前になってしまったという事で非常に紛らわしいね。それなんで、ここでは城全体を戸石城と書くことにする。

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山道は途中で左にカーブして延びて行く。


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やがて道は馬の背の部分に突き当たる。


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まずは、左の米山城を目指す。


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城は近いのだが、最後の登りの急な事急な事。雨でも降ってたらとても無理に感じてしまう程だ。


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やっと着いたよ。ここが米山城だ。


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真ん中には、村上義清公の石碑が建っている。海野平の戦い(村上・武田・諏訪連合軍対海野一族)で海野氏一族を追いやった義清公が小県郡・佐久郡方面の拠点として砥石城を大改修したとの事だ。。


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つまり、ここが本郭だね。


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下を見ると若干の高低差がある二の郭。


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三の郭から本郭方面を見たところ。


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あれ?下に砥石城方面の看板があって道も出てきたぞ。


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そこから砥石城もよく見える。


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その道を進んでみたら、なんだあの虎ロープの坂の途中に出たぞ。


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そんなわけで、次はあの砥石城ね。


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最初の分岐だった馬の背部分。


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この階段が急でやたら長い。すぐにへばる。


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岩を削って階段にしてあるけど、当時のものかな?


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横を見ると止山の看板が見える。ここも松茸が採れるようだね。


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さて、上を見上げると、すぐそこに頂上が見える。しかし階段はもう嫌いだい。


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やっとの思いで登ってみたら・・・まだあるんかい!


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やっと着いたよ。郭自体は小さい感じだね。ちょっとした出丸みたいな感じかな。写真は載せてないけど東側に堀もあった。


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眺めもいいね。別日に来たときは、ここで多くの人が休んでいた。やはりあの登りはキツイのだね。


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続いて本城へと向かう。


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尾根筋を進んで振り返ると二重の堀切があるように見えるね。

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更に先に進むと。


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尾根は急に広がりを見せる。右下に見える道は水の手や内小屋へと降りていく道だ。因みにいまだに行った事が無いので、ついでがあったら行ってみたいものだ。👈いつになるかは神のみぞ知るだ。。


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そこから先は、綺麗に削平された段郭を2メートル位の切岸加工で区分けされた本城部分となる。。


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上の部分にはチラホラ石積みも見える。


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この位の段差なら・・と思ってしまうが、ロープがあるのはとても助かる。。


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ピークを迎えると、本城の主郭部分となる。よく見ると案内板の砥石の戸の部分が直されてるね。。


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続いて枡形城へと向かう。


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ここにも堀切の跡があるけど、やはり埋まってしまっているのかな。という事はさっきの砥石城の部分もハッキリとしたのがあったのだと思う。。


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更に先に進む。


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そこから振り返って本城の堀切部分を見てみると、なるほど綺麗な段差があるね。。


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再び先に進む。すると隣に笹薮が現れて、矢竹の説明看板があった。なるほど笹薮に覆われている城が多い筈だ。


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平坦だった尾根道も急に上り始める。


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小さな段郭が2つ見えるぞ。


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上の段郭から主郭部分を見たところ。


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思ったより急坂の郭内に登ってみると、はい、ここが枡形城ということになる。写真はないが登ったところが凹んでいてそれが枡形という事でこの名が、名づけられたのだろうか。


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更に道が続いていたので行ってみる。


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するとあらら、堀切じゃん。。


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その先の小郭から振り返って枡形城の主郭を見てみると、ここは狼煙台にも見えてくるんだよね。

と、いう感じでザックリと回ってみたよ。この城が村上氏にとっても、武田氏にとっても、更に真田氏にとっても重要な場所だった事は歴史に証明されてるね。特に真田信幸公や信繁公がここで活躍したかと思うと、それだけでも心を打たれる思いがするんだよなぁ。


なんちゃって鳥瞰図を描いてみたよん。

戸石城



おわり。



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