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羽田(はんだ)城

                            2015. 11. 29

築城年は定かではないが、長野氏一族の羽田氏により築城されたと云われる。1562年に武田氏が西上野に侵攻してくると城主の羽田彦太郎は城を放棄し植栗城に逃げ込んだ為、武田氏は羽田城を接収し手子丸城主の浦野氏に与えた。






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国道406号通称草津街道を大戸の関を越えて長野原方面に進むと、県道377号線と枝分かれする。この県道をしばらく進むと、この空地が見えるので、そこから右に入って行く。と言っても私は30分以上も探し回ってしまったんだけどね。


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更に道を進んで行くと赤い鳥居の諏訪神社が見えてくる。この道を神社方面に進んで行く。 


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小川に架かる橋を越えると見える鉄塔管理通路案内柱。つまり、送電線を追っていくとこの城に辿り着けるわけだ。。この少し先に広い路肩があったので、そこに車を置いての訪城となった。


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先程の案内柱を登って行くと主郭の大堀切に向かうようだが、それを分かったのは城を降りてきてからだった。というわけで、私は林道を奥へ奥へと進んで行った。(T_T) しばらく進むと尾根を南に向かう広い道に辿り着く。


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途中にある鉄塔案内柱。


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その先にようやく見えてきた送電線鉄塔。。道も楽勝で簡単に城に行けるなと、この時点では思ってた。


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しかーし、道は鉄塔の足のところで、ピタリと止まり下草が無いのも鉄塔周りだけ・・・。もしかして違う山に登ってしまっているのかな?なんて不安が過る。


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すこーし藪を掻き分けて先に進んでみると見慣れた郭らしき物が見え、おまけにどうだとばかりに堀切も見えるではないか。ほっ。。


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なかなか美しい堀切だね。縄張り図を見ると、鉄塔がある歩いてきた郭が3郭で、その先が2郭。つまり、その間の堀切という事になるね。


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堀切端も竪堀になって落ちてる感じだ。


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2郭に入ってみた。。


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南に進んでみると、超深い大堀切が現れたよ。


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直接降りるには、あまりにも急なので東端から降りてみる。。


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どうだー!綺麗なV字の大堀切だー!


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そこから南を見ると、主郭東下の横堀部分が。。


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主郭に入ってみる。。


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主郭の南は一段下がって4郭。


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そこから見た主郭。中央に祠があるね。城の場所が分からずに近隣の住人に聞いたところ、手子丸城を教えられた。そこでは無くここら辺にある筈なんですが・・・としつこく聞いたら、そういえば子供の頃にお祭りをやっていた場所がありますけど・・・。との答えが頂けた。そ、それですよ、きっと。という感じでこの地を教えてもらったのだった。。城跡に神社は付き物。昔はどこでもお祭りがあったのだろうけど、時代と共に世話焼きの人もいなくなってお祭りも消えていく宿命なんだろうね。。


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再び4郭。


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5郭部分は東半分が分かる程度で、西側は藪ってる。。


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更に一段下がって6郭辺りの虎口っぽいところかな?後で写真を見ながらだとよく分からないな。👈いい加減なやつ。


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続いて主郭の西側へとワープ。。


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西下の横堀部分。


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そこに降りて南を見てみる。


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更に南に向かい6郭辺りを目指すが、ド藪で撤退し、振り返って横堀部分を見たところ。👈弱虫


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横堀を越えて主郭北側の大堀切を西側から見てみる。


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これを見られただけでも充分満足して帰途に就いたのだった。


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