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鎌原城(かんばら)

                         2015. 11. 29




 鎌原城は、吾妻川に断崖をめぐらす要害で岩櫃城、羽根尾城との攻防戦は、加沢記によって知られています。応永4(1397)年の築城と伝えられており、元和元(1615)年徳川幕府の「一国一城令」による破却まで、鎌原氏の居城として、戦国の歴史を秘めています。
 南北400メートル、幅150メートルの城域があり、本丸・二の丸・三の丸・東曲輪・笹曲輪の五郭に分かれ、堀切りと城主墓地を残す他、付近に金毘羅の砦、上城、下城、丸、陣馬など城に関係ある地名も残っています。
 鎌原氏は滋野源氏、海野氏の一族で下屋氏の末裔にあたり戦国時代より、三原荘を支配する豪族でした。戦国時代には甲州武田信玄の武将となり、江戸時代には沼田城真田氏の家老でしたが、天和元(1681)年沼田藩改易により、幕府が治めるようになってからは大笹の関守となり、廃関まで8代187年間、関番をつとめました。

 平成18年11月  嬬恋村教育委員会            現地説明板より。





では、早速行くか・・・と、その前に。。


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鎌原城は浅間鬼押しハイウェー沿いにある嬬恋村郷土資料館の少し南側から西側に曲がって入って行くのだが、折角なので鎌原観音堂に寄って行く事にしたよ。。


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天明3年(1783年)、浅間山の大噴火により大規模な火砕流が発生、それが鎌原村を直撃し壊滅的な被害を出した。

鎌原村は当時100戸前後、570人の集落だったが、被災死亡者は477人にものぼったという。

その時、村人たちは土石流れから逃れる為に、高台にあった観音堂に駆け込んだ。発掘調査により観音堂の石段は50段あった事が確認され、そのうち35段が埋没してしまったという。更に、その発掘調査に於いて逃げ遅れた二人の被災死亡者の遺骨も発見されたとの事だ。


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その鎌原観音堂。


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かつて50段あった石段。。

因みにその火砕流は地表の土石や水を取り込んで土石流れとなって吾妻川や利根川に流れ込んだ為、各地で洪水被害を巻き起こし、死者行方不明者は1400名を数える大惨事となったそうだ。

鎌原城にお越しの際は、是非ともこちらにも寄ってもらいたいものだ。。





さて、本題に戻るとしよう。


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鬼押しハイウェーの脇にある城案内看板。


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そこを曲がってちょっと行くと、また看板があるので右折する。


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北側に向かう道の先には、白根山が見えるな。。


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城に向かう畔道は、何やら拡張工事の準備がされている。


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少し車を走らせると、おっ、大手の案内柱が出てきたぞ。


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六文銭に霊城?の石碑。。


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その奥には鎌原氏累代の墓所・・・なのかな?


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とにかく三ノ丸は広い。。


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更に徒歩で北に進むと何やら窪地が見えて、ビビビッと堀切センサーが働く。


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堀切の東側


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これは先端部分・・だったと思う。


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西から見た所。


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堀切から二ノ丸に入ってすぐの所にある案内板。


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二ノ丸は、木を伐採されてるね。これも来年の真田丸の影響なのかもしれないな。


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ここら辺から本丸になるのかな?


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ここも木を伐るのかな。


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先端部分にあるNHKテレビのアンテナ塔。。


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東端に行ってみるとかなり急な崖だと分かるね。


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先端部分を見てみると、まだ先があるね。


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おっ、綺麗な堀切・・・だと思うけど、ここを掘り切る理由が無いほど周囲が崖。。更にその先の笹郭はとても狭いので更に意味なく感じてしまう。


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西側の崖だよ。


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横から堀切を撮ってみる・・・けど、かなり怖いな。。


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堀切の端をビビりながら見てみる。こわっ。。


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更に笹郭の先端部。


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下に見えるは国道144号・・・そう、真田道だね。


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帰りに南側にどっかりと腰を据える浅間の山が見える。こんな近いんじゃ大噴火したら・・・と考えるだけでも恐ろしい。。


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後日、鳥居峠を越えて群馬に戻ってきた時にちょうど下を通ったので、パチリと撮ってみた。。そういえば、工事後はどうなっているのかな?また機会があったら寄ってみようかな。。


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コメント

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今じゃメジャーな城跡に・・

ここを初めて訪問した時には、城の場所すら知っている人がおらず、史料館で紹介された近所のお土産屋さんのお婆さんに教えてもらってキャベツ畑を徘徊してようやく辿り着いた懐かしい記憶があります。ブログで紹介したら、結構皆さんに知ってもらえて嬉しかったなあー(笑)

真田丸効果は凄いもので、大笹の関所も見事に復元されちゃいました。往時は朽ちかけた木に説明板があった程度だった記憶が。
そしてここ鎌原城も駐車場が出来て途中の道路は拡張され、縄張図付きの大型看板や岩櫃城並みの城址碑が出来ておりおったまげー(爆)
果たして観光客の増大に効果があったのかは疑問ですが、せっかく整備したので作りっ放しで終わらないように願いたいものです。

鎌原観音堂の発掘で、母を背負ったまま焼死した親子の写真は衝撃でした。
仰せの通り、この郷土史料館も観光客の皆さんに見て頂きたい場所ですね。

Re: 今じゃメジャーな城跡に・・

らんまるさんでも苦労されたんですね。私も行く前に見つけるのが大変だと聞いていたので見つかるかなと心配しておりました。

ところが鎌原観音堂に寄って車に戻る時に郷土資料館の方が掃除をしてた(朝いち)ので鎌原城の場所を聞いたら、城までの道筋の地図を貰えました。なので迷わずに行けましたよ。。

私も工事後は、どーなったのかと昨年行こうと思っていましたが、なんでも発掘調査中(平成29年10/1~平成30年3/31)で見学規制されているとの事で断念しました。

見学規制が解除されたら、再訪したいと思っております。もし、遺構に変化があったら報告したいと思います。