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真田氏館

                            2015. 11. 22  



東の山に真田氏本城や天白城、西の山には戸石城がある中間的な台地部分に築かれて、真田幸綱(幸隆)公によるものか嫡男信綱公による築城かは定かではないが、真田氏の平時の屋敷であったのは確かなようだ。

その後、昌幸公が上田城を築くまで、ここで政務を執っていたものと言われている。


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真田氏館の東側にある真田氏歴史館。毎週火曜が休館日だそうだ。


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車を第一駐車場に置いて、そこから台地部分に入ってみる。


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ここは、後で分かったのだけど、出陣広場との事だよ。


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そこから下の方に向かう遊歩道があるので下っていく。


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すると、いかにもな虎口が現れて、東門と案内にあった。


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虎口を抜けると土塁の向こうに社が見える。


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正面から見てみると・・・おー、六文銭。。じわじわくるな。この社は皇太神社で、真田昌幸公が上田城築城により本拠を移した際に父から譲り受けたこの館跡の荒廃を防ぐ為に建立したものと言われている。


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ここで、この時は知らずに行かなかったけど、後日、この社殿の裏に行った時の写真をどうぞ。これは、御北の松で、長篠の合戦で討死した亡夫の信綱公を偲んで植えられたものと伝えられ、植え継がれ樹齢は200年超えと推定されているようだ。。


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下の段に行ってから振り返ってみる。この時気付かなかったけど、右側にある手水鉢は、大きな意味があったんだね。


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こちらの写真は、2016.6.13に行った時に撮ったものだよ。そう、ちょうど真田丸の真っ最中だ。信之公正室の小松姫の実家本多家からの贈り物だったのね。。


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そして、鳥居を潜り、外へと出る。ん??どうみても進行方向が逆じゃんか。。しかーし、私は神社でこのパターンをよくやってしまうのであった。(罰当たり)


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ここで、ようやく案内板に目を通す。ここは、東曲輪という事なんだね。


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南側の虎口に向かうと、土塁に折れがあったので、撮ってみた。


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ここが大手口・・・内側からね。


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はい。大手口を外側からね。普通はここから入りましょう。。笑

 
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はい、じゃ、ここから入って行きましょう。目の前にあるのは先程潜った鳥居だ。笑


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屋敷跡を横断する道は、北へと向かい、そのまま搦め手口へと繋がるようだ。


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搦め手の西側には西曲輪が展開している。


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その北西隅は土塁が囲んでいて、厩と案内板には書いてあったな。。


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その土塁上から西曲輪全体を見てみる。


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お次は搦め手門から出て、東側の親水広場を見た所。


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更に西側。


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東側の親水広場を進んでみる。


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振り返って見ると土塁に包まれた館跡の風情があっていい感じだね。ここも翌年の大河ドラマ真田丸の影響で多くの観光客が訪れるんだろうなと思いつつ帰路に就いたのであった。。

終わり。


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