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高津戸城

                         2015. 11. 7


群馬県みどり市大間々町にある高津戸城は、渡良瀬川が造り出した高津戸峡の東側にある要害山に築かれた城だ。


高津戸城の歴史は古く、承徳・康和年間(1097年-1104年)に山田氏によって築かれた。 その後、正平6年に十代山田則之は桐生国綱によって滅ぼされた。
 
それからは桐生氏の支配下となり、この地仁田山を里見氏に任せたが、宗連の時に上杉謙信により攻められ自刃して果てた。

この時、房州の里見実堯(勝広)は一族である宗連の許に身を寄せていたが、宗連の死によって桐生に移って桐生助綱の客分となった。

桐生助綱の死後、跡目を継いだ佐野家からの養子の桐生親綱は、元々の重臣たちを遠ざけ、実家の佐野家から連れてきた後見役に仕置きの全てを任せた。これまでの桐生氏の諸法度を廃止し、新法を行って暴政を領内に敷いたので、将士民心は離反した。桐生氏の行く末を危惧した家老の里見実堯は、諫言を繰り返したが聞き入れず、逆に反感をかってしまう。先を憂いた実堯は二人の息子を上杉謙信に託した。しかし、この行為が内通と疑われ親綱より自害を命じられてしまう。

里見実尭を失い、家中の乱れた桐生城。機を逃さず太田の由良成繁が裏切り者たちを取り込みながら急襲し城は陥落してしまう。これにより桐生氏は歴史から消える事になる。


天正5年、父の仇討ちを願う里見勝政・勝安兄弟は上杉謙信の応援を得て、高津戸城を修築して拠った。 天正6年、里見兄弟は用命砦を夜襲したが、城主石原石見を取り逃がしてしまう。 石原石見は由良国繁に属していたため、国繁は高津戸城を攻め、城は落城し、弟勝安は討死、兄勝政は自刃して復讐劇も終演を迎えた。

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北側には、渡良瀬川に架かる高津戸ダムが水を湛えている。


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そのすぐ下には、はねたき橋があり、自殺の名所として知られた事もあった。たしか、数十年も前に心霊番組で高津戸城の姫が味方に裏切られ、無念のまま川に落とされて命を絶った。その姫の怨念が自殺者を呼ぶのだとかの内容でやってたと思う。
当時の橋は、完全な吊り橋で人が渡れば、かなり揺れる程の怖さがあったと記憶している。


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とはいえ、ここは高津戸峡という観光名所でもあり、紅葉の時期は渡良瀬の水面に映える紅葉が見事なものだ。


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対岸の渡良瀬渓谷鉄道沿いから見る高津戸城(要害山)。


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そこから更に下流に行ってみると、ながめ公園があり余興場や毎年秋には関東菊花大会が催され、多くの観光客が訪れている。


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赤い橋を渡り、再び要害山の麓に行ってみる。


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そこには、高津戸峡を巡る遊歩道が完備されていて、この日も多くの観光客が絶え間なく巡っていた。


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この遊歩道は川原にも降りられ、ゆったりと流れる渡良瀬川と紅葉の美しさに、時の経つのも忘れてしまう。


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川原から先程のはねたき橋を見てみると、観光客の多さが分かり、かつての自殺の名所も遠い昔の話のような気がしてくる。


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再び、最初のダム上まで戻ると、ここに城への道が付いていた。


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しかし、そこからは登らず、車を走らせて城の南側へと回り込み、大きな郭の駐車場に車を止めて、そこからスタートする。


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上の写真に写る展望台からの眺め。みどり市大間々町だ。


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展望台の脇を通って主郭へと向かう。


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すると、いきなり鳥居。。


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その先は何枚もの段郭。


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その先は鳥居。。はて?


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横は段郭。。同じことを言っている。。


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はい。鳥居からの段郭ね。


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鳥居の向こうにも鳥居が見えるぞ。


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その東側を見てみると、先程の段郭とは違う主郭を取り巻く腰郭になっているようだ。


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とりあえず、階段上の鳥居まで行ってみる。


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すると、西側から延びてきている腰郭がある。つまり、先程の腰郭が螺旋状になって、主郭を取り巻いているんだね。。


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そのまま階段を昇って、主郭へと行ってみる。 すると要害神社が中央にどっかりと腰を据える。


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そこにある説明板で、しばしのお勉強。。


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東側の腰郭に戻って北の尾根に向かう。


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段郭を抜けると・・・。


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堀切が出てきたぞ。


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通り過ぎてから振り返って見る。。


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その先にも堀切さんだ。


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こちらも振り返って見る。。


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その先は・・・ここも堀切の跡なのかな?それより先は城域から外れてしまうようだ。。


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なので、先程の腰郭まで戻る。これは主郭へと通じる道だね。


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続いて腰郭を西側へと向かう。


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幅の広い所もあるな。


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更に西側にも段郭が見えるね。


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続いて南側へ。。


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こんな場所に主郭への広い階段があった。


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その先は遊び相手のいなくなった寂れた遊具。これで腰郭を一周したんだね。


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更に下に道が付いていたので、行ってみる。ちょうど西側の段郭下の方へ向かっているけど・・・。


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下の方へ降りて行ってしまうので、引き返すことにした。もしかしたら、ダム上の遊歩道入口に繋がっているのかな??


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駐車場に戻る途中に入口あたりにあった竪堀を見て帰途に就いた。


今回は、ほとんど観光みたいになってしまったね。   終



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