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仙人窟(陣城)

                            2015. 11. 1



天正十年、武田氏が織田信長により滅亡に追い込まれると、そのわずか三か月後に本能寺の変が起こり、信長も横死してしまう。屋台骨を失った織田四天王の滝川一益も窮地に陥り、旧領復帰を目指す後北条氏と神流川の地で対峙して敗れ去ってしまった。(神流川の合戦)

領主不在となった旧領地の沼田城と岩櫃城を素早く確保した真田昌幸は、沼田に矢沢頼綱、岩櫃に信幸を入れて防御態勢を固め、後北条方に与した。しかし、時を待たずしてすぐに徳川方へと鞍替えする。

それを知った後北条氏は一挙に真田領を呑み込もうと、沼田、吾妻方面の二手に兵を分けて攻め込んだ。真田配下となって吾妻の守備にあたる大戸真楽斎と但馬守の兄弟は、これを三の倉で支えたが衆寡敵せず、手子丸に退いて寡兵三日間奮戦して壮烈な戦死を遂げてしまった。これにより手子丸城は後北条勢の占拠するところとなった。

手子丸城で次の狙いの岩櫃城に照準を合わせる後北条勢5千に対し、手子丸城奪還を目指す真田信幸は八百騎をもって、城の相向かいの仙人窟に陣を張り対峙する。(通常の城攻めだと、城兵の三倍の寄せ手が必要と言われる。)

後北条方の機先を制し真田勢の先鋒隊が手子丸城を軽く攻めて素早く撤退する。少数の真田先鋒隊を大軍で追撃する北条軍。たかが少数と我先に深追いし過ぎた所を野に伏せていた真田本隊が横から襲う。つまり、釣り野伏せ・・・だね。

これに慌てた北条軍は城に戻り、籠城戦の構えを見せる。そこで、信幸は手薄になっている北の丸に目を付け、50名程の部隊で密かに潜り込み火を放つ。いきなり城内で起こった火の手に、北条勢は裏切りがでたものと錯覚し大混乱に陥る。そうした中で、真田本隊が大手から攻め込み、別動隊と合流しながら算を乱した北条勢に襲い掛かった。

こうして、弱冠17歳の真田信幸公が、僅かな寡兵で大軍の籠る城の奪還に成功する。。・・・というのが、加沢記などに書かれたストーリーだったと思う。(現地の説明板と内容が違いますね。💦)

真偽の程はともかくとして真田ファンにとって、これに関わる場所などは是非とも自分の目で見てみたい。。

そんな訳で手子丸城とのセットで行って来たよ。。




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手子丸城の北に位置する仙人窟。ガードレールの外側に若干車を止めるスペースがある。


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そこから温川を挟んで、手子丸城の主郭部分がよーく見える。


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登り口には、説明板があり、真田信幸様の名前も出てくる。・・ウーム、胸アツだ。。


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意外と急な階段を昇る。


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少し平らになった所で振り返って見ると、手子丸城の中を蠢く後北条の手の者が見えるような気がする。。


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ここにある説明板には、観音様は三十三の姿で示現する。これを集めたのが霊場であり、三十三ケ寺を巡礼することは功徳がある。と書かれていた。つまりは、霊場なわけなんだね。


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更に急になる谷道。


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しかし、途中で左に折れ、現れたのは物見岩みたいな岩の出張り。この先は深い谷なので落ちると危険だ。


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そこから折り返して、進んで行くと大きな立岩みたいな所が見えてきた。


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下は、ポッカリと口を開けたような窟となっている。


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上は、かなりの高さだ。


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はい。ここが仙人窟だ。


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その中にある十八羅漢像。


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真ん中奥には、聖観世音像。


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仙人窟を後にして、山の左側へと進む。


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すると岩の小さな穴を潜り、表札には胎内くぐりと書かれていた。


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更にその先にも崖の途中に岩穴がある。


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ここには、三体の像が並んでいた。


併せて手子丸城も読んでね。


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