FC2ブログ

深沢城

                                2015. 10. 4


群馬県桐生市黒保根町にある深沢城は、永禄年間(1558~1570)頃に阿久沢氏により築城された。

1574年越山した謙信が赤城南麓の諸城を攻め落とすと、この深沢城にも詰め寄り城ごと押さえた。関東へ進撃する為に厩橋城方面以外の赤城北面から桐生へと抜ける根利道を確保する為だ。

上杉軍が兵を退いた後は、太田金山城の由良氏と抗争を繰り返しつつも後北条氏に従う。最後は小田原征伐により後北条氏と運命を共にした。


DSC_2398.jpg
正圓寺の西側にある阿久沢氏累代の墓へと向かう。


DSC_2400.jpg
どこだ~。


DSC_2401.jpg

DSC_2403.jpg
この後ろに横に並ぶのがそうみたいだね。


DSC_2404.jpg
正圓寺の背後に延びる土塁。


DSC_2406.jpg
三ノ丸にある正圓寺。実は背後にあるという横堀を見忘れてしまった。いつでも行けるからいいや。と思ってたけど、いまだに行ってない。。


DSC_2407.jpg
続いて南に向かう。


DSC_2408.jpg

DSC_2409.jpg
どんどん下りていくと、城の案内看板があったけど、老朽化していて見辛いね。


DSC_2410.jpg
西側を見ると本丸が見える。


DSC_2411.jpg
こっちは正面の二の丸。


DSC_2412.jpg
その間の幅20m近くある空堀。


DSC_2413.jpg
奥が本丸北側の空堀。


DSC_2415.jpg
二ノ丸東側の空堀・・・は草ボーボー。


DSC_2416.jpg
二ノ丸と本丸の間の空堀に降りてみる。


DSC_2422.jpg
下の腰郭まで行ってから振り返ってみる。すると堀自体が傾斜になっているのがよく分かるね。


DSC_2421.jpg
北から落ちてきた空堀は、南側の腰郭へと繋がっている。


DSC_2423.jpg
その腰郭を東、つまり二ノ丸南下まで来ると、行く手を阻むように倒木が散乱していた。その先は二ノ丸東側の堀がそのまま崖になっているようだ。


DSC_2424.jpg
続いて腰郭を一挙に西端まで来て、東側を見ながら撮ってみた。本丸の切岸は10mはありそうだね。


DSC_2426.jpg
更にワープして本丸北側の堀を見てみる。こちら側は下に比べると随分浅いね。


DSC_2427.jpg
本丸北東部分から入ってみる。


DSC_2428.jpg
ちょい長方形の形をした本丸は、他の曲輪より低い位置にあり、尚且つ土塁で囲われてもいない。見た感じ屋敷跡にも見えてしまうなぁ。。


DSC_2429.jpg
北西隅にある祠。


DSC_2430.jpg
西側の谷。


DSC_2434.jpg
本丸南東隅から見下ろした腰郭。


DSC_2435.jpg
本丸南西部から見下ろした腰郭。その西隅からは、本来の登城道があるらしいのだが、藪が酷くて確認できなかった。。



それにしても、谷部分以外は綺麗に除草されてて、とても見易かったな。きっと地元の人に愛されてるんだろうな。。

終わり。


スポンサーサイト



コメント

非公開コメント