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武州松山城

                                2015. 9. 20


埼玉県比企郡吉見町にある松山城は、鎌倉時代末期に新田義貞の陣営として築かれた説もあるが、応永年間(1400年頃)に扇谷(おうぎがやつ)上杉氏の家臣である上田友直により本格的に築城されたのが始まりとされている。
 
戦国中期には、上杉氏、後北条氏、武田氏(後北条氏と同盟中)による激しい争奪戦が繰り広げられた事でも知られる。 更に戦国の終わりの頃には後北条支配下にあったが、秀吉による小田原征伐時に前田利家率いる北国軍に攻められ落城、その後、小田原城に籠城した城主の上田氏も後北条氏と共に歴史から消えていった。

後北条氏滅後は、徳川氏の関東入部に伴い松平家広が一万石でこの城の城主となるが、次世代に浜松へ転封となり、それにより松山城も廃城となった。




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西側を流れる市野川を渡ってすぐの道路脇に登城口がある。 とは言え、車は路側帯の隙間に止めるしかないのだ。


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説明板にあるここからスタートするよ。 以降はこの縄張り図を参照しながら説明するので、ややこしくなるが許して下さいね。。


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最初だけ綺麗な階段だが、すぐに慣れた山道になる。 どうもこちらの方がしっくりするな。


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なんて言ってると、何度もコケそうになる。 というのも、すんごい量のまん丸いドングリが落ちているのだ。 秋以降は気をつけねばならないね。


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気を付けながら登っていると、右手に平らな部分が現れ、ここは笹郭となる。


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その先はすぐに階段があり、その上は本丸となっているようだ。


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はい、ここが本曲輪の標柱ありの本丸だ。


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北東部分は松山城址碑のある物見櫓だが工事中のようだね。


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そこから振り返って本丸全体を見てみる。


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先に進むと、すぐに深い堀がお迎えしてくれる。


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堀底に入って両側を見てみると・・・当然の如くド藪。 やはり、9月後半でもダメか。。


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続いて二ノ丸へと進む。


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遊歩道が分岐しているけど右に進む。 (後でもう一方に行ってみたが、堀も藪に包まれていたので撤退した。)


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すると再び横堀が現れる。


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堀底から両側を確認。 はい、ド藪ね。


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しかし、この細長い春日丸を進むと、塁線に折れが入っているのが分かる。


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二ノ丸との間の堀は、所々ハッキリクッキリしている。


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先程、春日丸と言ったが、ここにある標柱は三の曲輪となっている。 しかし、ここでの説明は最初の縄張り図を元にしているので悪しからずだ。


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やはり、折れているよね。 藪になってるのが実に勿体ないね。


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ここが春日丸の先端部分だ。


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更に端っこに行ってみると、両側から来た堀がぶつかって、かなりの深さがある。


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こっちが更に外側にある三ノ丸との堀なのだが、かなりの深さがある。 というか、谷になってるのかな。。


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どうしても横からみたいので、先端部分から頑張って降りてみる。


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結果は藪に邪魔されて、いい絵が撮れなかった。 戻るのも一苦労だ。


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再び春日丸まで戻り、堀を見ながら南へと向かう。 堀の向こう側は三ノ丸だ。


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すると先に行くほど細くなる。

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その先は少し広い空間となって馬出しということになる。


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馬出しの北側を見てみると三方向からの堀がぶつかり、真ん中の水たまりは池で、その先の郭は三ノ丸となっている。


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今度は、堀を降りて三ノ丸方面へと向かう。


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今来た道を振り返ってみる。


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堀には土橋が架かっていた。


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ここは、曲輪4の標柱のある三ノ丸だ。 (説明がややこしくてすまんす。)


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春日丸方面を見たところ・・・だと思う。www


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ここで一挙に本丸まで戻って物見櫓横から北西に降りていく。


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ほとんど藪の中の一本道を進んで行くと、兵糧倉の標柱が出てきた。 郭の大きさも確認出来ないほどのド藪だ。。


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そのまま先に行ってみると、分岐になるので左へと進む。


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その先は平場が出てきた。


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分岐に戻って北方向へ。


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途中で下の方が透けて見える場所があり、大きな竪堀のようだ。 下には何やら建物が見える。


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その先は工事関係の重機がある広い惣曲輪となっている。


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そこから見える東松山の街並み。


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ここには、井戸でもあったのかな。。(未確認)


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一度、車に戻ってから吉見の百穴へと向かってみたら、先程の竪堀の下にある岩室観音堂が見えた。
 






ついでに、すぐ隣にある吉見百穴にも寄ってみたので簡単に載せておくね。

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吉見百穴は、古墳時代末期に造られた横穴式の墓で、現在、穴の数は219が確認されている。


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数か所の穴に入ってみると、何やら文字のようなものが刻まれていて往時を偲ばせる。


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更に一階?は、太平洋戦争時に於ける中島飛行機の地下軍需工場となっており、無数の横穴が張り巡らされている。 残暑の厳しい時期だったが、少々肌寒い位だった。


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最後は、吉見百穴の展望台から見た松山城だよん。






松山城攻城戦は、とにかく時期を誤ったの一言だった。 それにしても、藪がなければ素晴らしい城だと思うのだけど、この一山を管理するのは並大抵の事じゃないんだろうな。 と思いつつ城旅を終えた。。








※ 登城口の道向かいに若干の駐車スペース有り。 但し、駐車の際は自己責任でお願いします。
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コメント

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夏場は・・・

小生も9年前の7月に忍城訪問のついでで訪問しました(笑)

時間が無くて全部回り切れなかったのですが、行けども行けども塹壕のような空堀が巡る特殊な縄張に感嘆しました。
城域に対してこれほど堀の占有率が高い城は珍しいですネ。モグラのような気分でした・・(汗)
やっぱ夏場はこのクラスの平山城でも藪なんで、関東方面か冬が見ごろかもしれません。

関東方面、特に北条さんの城は未訪なので今後の訪問が楽しみなのですが、いつになるやら・・(笑)

Re: 夏場は・・・

松山城の城域の堀と切岸を合わせた面積は、全体の二分の一強あるそうですね。
 
ほとんど藪で見えなかったですけど、藪が無ければ本丸や二ノ丸から各郭が見渡せそうですね。。



私も真田さんを追いかけていたら、いつの間にか北条さんの城を攻めておりますよ。

是非とも北条さんの城も見に来てくださいね。(夏以外に) 汗、汗