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赤見城

                           2016. 7. 31




栃木県佐野市赤見町にある赤見城は、安元元年(1175)、藤原秀郷を祖とする足利俊綱によって築かれた。治承5年(1181)、俊綱は源頼朝に叛いた頼朝の叔父志田義広からの援軍要請に従ったが野木宮合戦で敗れ、頼朝の追討軍から逃げる途中で家人の桐生六郎の裏切りに遭い殺されてしまった。

建久元年(1190)、戸賀崎義宗が城主となり城を再興、その居城とした。 戦国期の永禄2年(1559)、戸賀崎氏の子孫である赤見伊賀守は唐沢山城主佐野泰綱に叛いたため、佐野氏に攻められ常陸に逃れた。

それ以降、赤見城は佐野氏の支配となり足利方面を抑える支城となった。


現在、本丸跡は赤見城保育園の敷地となっているようだ。


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東側にある城址碑。

 
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当日は日曜日で園は休みのようだったので、ちょいと土塁上に上ってみる。


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北へ向かう。


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下道との高低差。


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北東隅部分。


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北側の土塁を西へと向かう。


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そこから見た本丸内部。


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真ん中辺りで土塁は二重になる。


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北西隅には小さな社が祀ってある。


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二重土塁の間の堀部分は水があるね。


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堀の隅部分。


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続いて西の土塁を南方面に向かう。こちらも見事な二重土塁だね。堀も薬研堀が美しい。


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そこで振り返って見た。この切岸はとても登れないね。


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更に進める所まで行ってみる。


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南西隅部分。


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隅部分を曲がるとすぐに土塁が切れ園舎となっていた。それにしても普通の日だったら無理だね。これは。。


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ここで戻りながら西側の二重土塁を再び眺める。それにしても見事だね。


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出発地点に戻ってから北側の土塁下に回り込む。見た目以上に下草が伸びている。


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北西隅部分の堀。


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そこから見た西側の二重土塁。。


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ちょいと進んだ所で周囲の民家が気になり、さてさて不審者に間違われるのも困るのでこれにて撤退します。



どうも住宅地にある城跡は何処まで入っていいのかの境界線が分からなくていつも中途半端に終わってしまうな。







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