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逆井城(さかさいじょう)

                              2016. 7. 17


茨城県坂東市にある逆井城はもともと逆井氏が治めていたといわれています。逆井常繁の時、天文5年(1536)3月3日、小田原を本拠地とする後北条氏の軍勢に攻められ、以後、天正18年(1590)に後北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされるまで、同氏の北関東進出の拠点となっていた、といわれています。

この地は常陸佐竹氏・結城氏・多賀谷氏との領国の境目にあたり、すぐ北側にある自然の要害である「飯沼」に囲まれ堅牢を誇っていたと思われます。                                             <坂東市観光協会より>





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南にある専用駐車場から入り込む。


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現在は逆井城公園としてとても綺麗に整備されているようだ。


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一瞬、息を呑むような美しい光景が広がる。


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大手に架かる木橋から城内へ入る。


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存在を主張し過ぎる復元された二層物見櫓に昇ってみる。


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先程木橋を渡る前に見た堀状のものは、実は谷津部分で飯沼から水を引き込んで船溜まりとしていたようだ。今でも入江になってる感じだ。


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西隅部分にある井楼矢倉も復元されてて往時を偲ばせてくれる。


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これは北北東方面にある本丸を見た所。手前が西二曲輪で森の中が本丸となる。


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まずは井楼矢倉に向かうか。左に平櫓で奥に井楼矢倉となっている。


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ほうほう。意外としっかりと出来ているものだね。これなら敵味方の動静がハッキリと把握出来るね。


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先程の入江を見下ろしたところ。実はここを降りている途中でビシッと激しい音が聞こえた。はて?何だろうと思っていたら、すぐにドスンと縦揺れの大きな地震が襲ってきた。一目散に駆け下りたけど、かなり怖かった。


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この土塁は当時の物のようだね。


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土塁の切れ目には木橋が架かっているけどいい散策路になってるね。


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近くにちょうどトイレがあったので小用を足すと、お!北条鱗だよ。ジワるね。


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その横には馬出・・・か?


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実はここは逆井古城との事だ。


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北側には大きな堀を挟んで本丸がある。


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それにしてもガンガンに折れが入っているね。古城と言っても馬出虎口として使っていたんだろうね。


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本丸堀もなかなか深くていい感じだ。


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古城を振り返ってみてから堀に沿って北側に進む。


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これが南東隅部分から見た本丸堀。右が東二曲輪、左が本丸だ。


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こっちは振り返って見た所の本丸南側。左が馬出状の古城だ。


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本丸堀を北に進んで行くと木橋が見えてきた。


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堀の北先端部は折れを入れて右側の東二曲輪側に櫓台を置いているとの事だ。


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こちらは東二曲輪の北側部分となり二の丸桜広場と呼ばれているらしい。


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さて、木橋を渡って本丸へと向かう。入口には二階門。


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木橋の上から南の堀を見た所。


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二階門を潜って本丸。いくらか傾斜になってるね。


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本丸南から見た二階門辺り。土塁がよく分かるね。


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そこから南側の古城(馬出)へと向かう。


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本丸と古城の間の堀底には鐘掘り池というのがあり、 「天文5年(1536)3月3日、ときの逆井城主逆井常繁は、北条氏康の家臣であった大道寺駿河守(?)の城攻めに敗れ戦死しました。この時、城主の奥方(又は娘)は先祖代々伝わる釣鐘をかぶってこの池に飛び込み自殺したと言われています。この釣鐘を探そうと何人もの人が池を掘ったため「鐘掘り池」とか「鐘掘り井戸」と呼ばれています。
この池はどんな旱(ひでり)でも水が涸れたことがないと言われるほど、湧水が豊かです。城の生活水を賄うために掘られたのではないかと考えられています。」との事だ。


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たしかに水を満々と湛えているね。


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こちらは南西の本丸堀部分だ。


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本丸の北下を見下ろす。


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先程の木橋を渡り堀底に降りてみた。左は本丸の横矢土塁となっている。


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堀底から木橋と二階門を見る。


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堀底から北の道路に出てみる。横を流れるは西仁連川。


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ここで城内に戻って東屋のある東二曲輪。


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かなりの広さだ。左に土塁が見えるね。


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おー、折れ折れの横矢掛けまくり。


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いいねぇ。


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これは比高二重土塁と呼ぶのだそうだ。浅いけど木橋まで架かってるぞ。


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木橋を渡って東側に進むと東三曲輪となる。ここも細いけど綺麗だね。因みにこの曲輪の外側にも昭和10年代まで空堀があったらしいのだが現在は消滅している。


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東三曲輪の北端にも井楼矢倉があった。


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その辺りから先程の比高二重土塁を見てみる。なるほどねぇ。。


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またまた北に出てみる。かつてこの辺りは東西1km、南北20㎞の飯沼の水面が広がり北の敵である多賀谷・結城・佐竹氏との境界線を画していた。


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そのまま城の外側を回り駐車場へと向かう。


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最初に見た入江から物見櫓や井楼矢倉を望む。この辺りで撮った写真がよく掲載されてるような気がするね。

さて、これで軽く一周したので終わりにするか・・・。

いやぁ、それにしてもいい城だったな・・・。

ん、何か忘れてるぞ。。

あ!そうだそうだ、復元された主殿を見なきゃだわ。。


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急いで二層物見櫓のすぐ裏へと舞い戻る。この門は関宿城(千葉県野田市)から移築された城門との事だ。


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門を潜って中に入ると、堀ノ内大台城で出土した建物痕を想像復元された立派な主殿があり、当時の中世城郭を彷彿とさせる。


それにしても真夏でもこんなに綺麗な城・・・。更に歴史的にも後北条氏最前線の拠点城。どれを取っても百点満点の城だよね。

更にそういえばウモ先生を覚醒させた城だった気がする。。


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