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守谷城

                             2016. 7. 17


茨城県守谷市にある守谷城は小貝川の作り出した低湿地帯に突き出す舌状台地にあり北方に筑波山を望んでいる。台地周縁部は人工か自然地形の折れが入り城全体が横矢を掛ける形状となっている。

城は大きく分けて舌状台地の城山地区と台地基部に広がる城内地区とに分かれる。

主郭から北側は自然地形を利用した感じだが、それより南以降の堀跡は幅も広く高低差もあることから北条氏による普請跡だと考えられている。



この地を治めた相馬氏は下総千葉氏の一族で、戦国期には古河公方の家臣として上杉謙信や小田原北条氏の傘下で活動した。

天正18年(1590)の小田原征伐により相馬氏は没落、その後、関東に入部した徳川家康は家臣の菅沼氏にこの地を与え、更にその後に城主となった酒井氏が天和元年(1681)に厩橋に転封すると、この守谷城も城としての役目を終えたようだ。



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現在は守谷城址公園として整備されているとの事だ。


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多目的広場から見た城郭。


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城の周りは低湿地というか沼となっていたようだね。ここは芝生広場と書いてあるだけあって真夏でも綺麗だ。


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とりあえず城内に延びる遊歩道があるのでそちらに向かってみる。


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ここは広-い2郭のようだ。


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南西に向かう。


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下に降りて行く道があるのでそのまま進む。


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これは3郭との間の堀切のようだ。


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いい堀切だね。さすが北条普請!と、ここで・・・


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そういえば・・・沼に張り出す城山を撮りたいなと先程の芝生公園まで急いで戻る事にした。


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これが撮りたかった城内の台地基部から見た城山だ。船着き場もあったようだね。


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3郭の南背後から突撃しようとしたけど激藪でムリだった。


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ぐるりと回り込んで先程の堀切の所に戻る。


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どうしても3郭に行きたいけど、これは立入禁止という意味なのかな??踏み跡はあるけど・・・やめておこうか。


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そんなわけで今度は東外側の道から北に向かってみる。


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途中で城内に入りたいけど・・・これは酷い藪だな。


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仕方ないから戻ろうかと思ったところで踏み跡発見!


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お、堀切に繋がってたよ。


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これが西側から見た堀切だ。


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そこから北の郭に登ってみると主郭だ・・・が郭の周縁部は土塁ならぬ藪塁となっていて、その先の郭は拝めそうにないね。


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続いて先程の堀切から南の郭に向かった。


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その先は木橋が架かっているぞ。


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木橋の下はいい堀切になっているけど、真夏ではこれでもよく撮れた方か。


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木橋を渡りきると最初の2郭になったので主郭手前の堀切まで戻って西側へ出てみる事にした。


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これは出た所だけど堀を挟んでいい感じの土塁になってるね。さてさてこの土塁は城の遺構なのかな?どっちにしろ折れてる感じがよく分かると思う。


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これで軽く一周した感じになったので城旅を終える事にしたが、多目的広場の北側には大きな池があり、当時水面だったこの場所を彷彿とさせる。


と、簡単すぎる訪城だったが、真夏だったので下見程度の気持ちだった。薮蚊も多く急いで廻ったためによく頭の中でイメージ出来ない有様だ。木枯らし吹いた頃にぜひ再訪したい城だね。。




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