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三ノ倉城

                            2016. 5. 15


群馬県高崎市倉渕町にある三ノ倉城は栗崎城とも呼ばれ、築城時期は定かではないが、この地を治めていた木部氏が延徳元年(1489)に全透院を開基したと云われるので、その頃に背後の山に築城されたものと思われる。

永正年間(1504~1521)に北の地の大戸氏が侵攻してきてその所領としたが、武田家が滅亡し信長が横死すると後北条氏により攻められ、大戸氏は手子丸城まで撤退し奮戦するも最後は自刃して果てたという。

その後この地一帯は後北条氏の支配となるが、後北条氏も秀吉の小田原征伐により滅亡すると、関東に入部した徳川の支配となった。

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全透院の入り口に一緒にある栗崎城址の看板。


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路地を進んで行く。


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見事な鐘楼門がお出迎え。


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なるほど。

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本殿。全透院は居館跡でもあるようだ。


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それより石垣に反応してしまうね。


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高崎市と言っても市街地からかなり離れた倉渕町の街並み。右手に見えてる烏川に架かる橋の手前があの幕末の幕府方で有名な小栗上野介の処刑場だったりするのだ。無念だったろうな・・・・。因みにここから3kmほど北に向かえば小栗上野介が隠棲しようとした地があり、今でも屋敷が建つのを待っているかのようだった。。


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さてさて、話を城に戻そうか。とりあえず、墓場の最上段から山へと入って行く。


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何となく主郭を周回する帯郭だと思う。


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ここが主郭で薄っすらと土塁が確認出来ると思う。土塁には切れてる部分があり、そこが虎口となっているようだ。


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郭内を少し進んでから振り返ってみる。


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主郭北東下にある帯郭。


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更にその一段下にある堀底状の通路・・・だと思う。


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これは尾根先へと伸びていく・・・という感じだが、写真で判断していいものかどうか・・・。それだけメリハリの無い城なんだよね。


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これは主郭の北西側の帯郭・・・だ・・と思う。


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ウーム、どの部分だろう?実はこの日は縄張り図の講習会だったので、片手間に写真を撮ってたので、かなり曖昧なのだ。


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これは南東にある虎口だと思うけど・・・。


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その下にある張り出した部分。


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そこから降りて行くと竹林になっていたのは、よく覚えているよ。また行かなければならないね。。


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麓に降りてから振り返って見た居館跡と三ノ倉城だ。



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