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赤見城

                           2016. 7. 31栃木県佐野市赤見町にある赤見城は、安元元年(1175)、藤原秀郷を祖とする足利俊綱によって築かれた。治承5年(1181)、俊綱は源頼朝に叛いた頼朝の叔父志田義広からの援軍要請に従ったが野木宮合戦で敗れ、頼朝の追討軍から逃げる途中で家人の桐生六郎の裏切りに遭い殺されてしまった。建久元年(1190)、戸賀崎義宗が城主となり城を再興、その居城とした。...

天幕城(てんばくじょう)

                           2016. 7. 24群馬県伊勢崎市磯町にある天幕城は、南北400m、東西120mの自然地形を利用した城で、西側は蕨沢川が流れ北と東側は蕨沢川の旧河道の低地で城外と隔てられている。本丸の北、西面には今も高さ4m程の土居を残している。本丸を中心とした部分に腰曲輪、水の手曲輪、堀切、矢払い等の軍事的な構造が顕著に見られる並郭城で、戦国時代の赤城南麓諸城の特徴を良く...

赤堀城

                           2016. 7. 24群馬県伊勢崎市赤堀今井町にある赤堀城は藤原秀郷の末裔の赤堀氏の居城で、赤堀下野守親綱の時に由良氏の幕下となり、その子影秀までは赤堀城に在城した。その後、後北条氏幕下の小菅氏が在城したが、天正十八年(1590年)後北条氏の滅亡と共に赤堀城も廃城となった。赤堀城跡は赤堀氏の居城とされているが、赤堀氏の活動の記録は少なく不明な点が多い。...

久永氏陣屋跡

                              2016. 7. 26群馬県伊勢崎市東小保方町にある久永氏陣屋跡は、久永源兵衛重勝の領地支配のために設けられた陣屋跡で、久永氏はこの地の他に埼玉や茨城にも領地が点在する禄高3,200石の徳川家の旗本でした。東小保方村の領地は石高が1,182石あり、陣屋は東西75m南北120mの大きさで堀や土塁が構えられていたが、堀はその後拡張されて池となってしまい、現在で...

逆井城(さかさいじょう)

                              2016. 7. 17茨城県坂東市にある逆井城はもともと逆井氏が治めていたといわれています。逆井常繁の時、天文5年(1536)3月3日、小田原を本拠地とする後北条氏の軍勢に攻められ、以後、天正18年(1590)に後北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされるまで、同氏の北関東進出の拠点となっていた、といわれています。この地は常陸佐竹氏・結城氏・多賀谷氏との領国の...