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勝山城

                              2016. 7. 3栃木県さくら市にある勝山城は、宇都宮氏の一族である氏家公頼が建久年間(1190~1190)に築城したのが始まりとされる。しかし、南北朝時代(1336~1392)、氏家綱元の時に家系が途絶えてしまった為、同じ宇都宮一族の芳賀高清が飛山城から移り住んで、それからは芳賀氏の城となった。慶長2年(1597)、主家の宇都宮国綱が秀吉によ...

藤田信吉の墓

歴史の檜舞台に上がった戦国武将を言い出すとキリがないが、あまり聞いた事がない名前(自分が知らなかっただけ?)なのに歴史の転換期にひょっこりと顔を出している藤田信吉って一体何者なんだろう?と関東近郊の城をメインで回っている自分はいつも思っていた。今回、栃木にあった墓所を巡ったついでに少し掘り下げてみたいと思います。藤田信吉は、平安時代から武蔵野国の豪族であり室町期には関東管領山内上杉氏の重臣だった藤...

喜連川城

                              2016. 7. 3栃木県さくら市喜連川にある喜連川城は大蔵ヶ崎城や倉ヶ崎城とも呼ばれ平安時代末期、塩谷五郎惟広により築城された。惟広を始祖とする喜連川塩谷氏の血筋は4代で絶えたものの、同族の藤姓塩谷氏から養子を迎え入れ、塩谷氏の支配は合計17代400年に及んだ。戦国時代に入ると、塩谷氏は同族の宇都宮氏から離反と帰参を繰り返し、また一族の内紛などもあり...

川崎城

                             2016. 7. 3栃木県矢板市にある川崎城は、正治・建仁年間(1199~1204)頃に下野宇都宮氏の基礎を固めた宇都宮朝綱の孫にあたる塩谷(しおのや)朝業により築城された。室町期に入ると塩谷教綱は同じ宇都宮一族の武茂氏と確執を起こして、武茂氏出身で宇都宮宗家を継いだ持綱を殺害してしまう。しかしその教綱もすぐさま宇都宮宗家から誅され、その跡を宇都宮...

蒼海城(おうみじょう)

                             2016. 6. 26染谷川とその支流牛池沢との間に縦横の堀を配した城で、総社長尾氏の本拠である。この城の縦横列郭構造は、築城以前に既設の構えのあったことを暗示し、幻の上野国府を戦国城郭に編成したのがこの城ではあるまいか。上野国分寺・国分尼寺跡・山王廃王寺跡・上野国総社などが付近に集中するこのあたりに国府があり、上野守護代であった長尾氏が国府跡を本...

前橋城

                            2016. 6. 26前橋は古くは厩橋(まやばし)と称し東山道の群馬の駅(うまや)が近く、それが地名の起こりであるという。厩橋城が築かれたのは15世紀のこと、初代城主は箕輪城主長野氏の一族前橋長野左衛門尉方業(さえもんのじょうまさなり)とされている。以後長野氏らの厩橋衆が拠っていたが、天文21年(1552)小田原北条氏の勢力が上州に及び、永禄3年(15...