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正龍寺

北条氏邦夫妻と藤田康邦夫妻の墓地を巡って埼玉県大里郡寄居町藤田にある正龍寺は、花園城の東に位置している。まずは、藤田康邦さんの説明からです。藤田氏は武蔵七党のひとつである猪俣党の出で、戦国期になると山内上杉氏の重臣として活躍していましたが、後北条氏により山内上杉氏が追われると当主であった藤田重利(後の康邦)は降伏し、後北条氏の軍門に降る事になります。このとき、北条氏康の四男・乙千代丸(氏邦)に娘・...

花園城

                            2016. 1. 17埼玉県寄居町にある花園城は武蔵七党のひとつである猪俣(いのまた)党の藤田氏の居城と伝えられています。戦国期になると藤田氏は山内上杉氏の重臣として活躍していましたが、後北条氏により上杉氏が追われると当主であった藤田重利(後の康邦)は降伏し、後北条氏の軍門に降る事になります。このとき、北条氏康の四男・乙千代丸(氏邦)に娘・大福御前を娶...

天正壬午の乱の序章 神流川の合戦ゆかりの地を訪ねて

                            神流川合戦地巡り 群馬県高崎市と埼玉県本庄市の県境を流れる神流川。歴史上では激動の年と云われる天正10年に、ここで関東最大級の大戦があったのだ。 まずは天正10年(1582)から時系列で紐解いていこう。 3/11   織田信長が信濃・甲斐に侵攻し、天目山の戦いで武田勝頼を自害に追い込む。(武田家の滅亡) 3月下旬  滝...

白倉城(麻場城と仁井屋城)

                            2016. 1. 10群馬県甘楽町にある麻場城は、戦国時代のこの地の豪族白倉氏の居城であり、東方約500mに存在する仁井屋城と併せて「白倉城(しらくらじょう)」と呼ばれ、典型的な別城一郭(双子城)であると言われている。当城は、戦国時代初期の築城とされ、豊臣秀吉の小田原征伐(1590)に、前田利家を総大将とする東山道軍に攻め落とされるまで約370年間の活躍があ...

山名根小屋城

                            2016. 1. 10根小屋城は群馬県高崎市山名町にあり、烏川と鏑川に挟まれた丘陵帯のうち、北方向に張り出した丘陵の先端に位置する山城である。標高は180mほどで南北に280m、東西250mに広がる。また南の尾根続きの南東丘陵部には山名城が存在する。築城は永禄11年(1568年)または同13年(1570年)とされる。永禄11年(1568年)に甲斐国の武田信玄が駿河国・今川氏の領国...