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深沢城

                                2015. 10. 4群馬県桐生市黒保根町にある深沢城は、永禄年間(1558~1570)頃に阿久沢氏により築城された。1574年越山した謙信が赤城南麓の諸城を攻め落とすと、この深沢城にも詰め寄り城ごと押さえた。関東へ進撃する為に厩橋城方面以外の赤城北面から桐生へと抜ける根利道を確保する為だ。上杉軍が兵を退いた後は、太田金山城の由良氏と抗争を繰り返しつつも...

両崖山(りょうがいさん)城

                                2015. 9. 27栃木県足利市にある両崖山城は足利城とも呼ばれ、藤原秀郷の流れを汲む成行が足利太夫と称して1054年頃に築城したのが始まりとされる。その後120年程藤姓足利氏は続いたが、源姓足利氏の台頭、一族との確執、更には源平合戦の折に平氏側に付いた為、10代忠綱の時に滅亡した。戦国期になると、関東管領山内上杉の家臣である長尾氏が足利荘の代官と...

川越城

                                2015. 9. 20埼玉県川越市にある川越城は、近世以降の名で川越城、中世の頃は河越城と分けて表記される事が多い。河越城は、室町期の古河公方と関東管領上杉氏の対立である享徳の乱の頃に、扇谷上杉の持朝が家宰である太田道真・道灌父子に築城させ自らが城主として納まったのが始まりとされる。享徳の乱以降に続く長享の乱では、本家筋の山内上杉氏と庶家の扇...

武州松山城

                                2015. 9. 20埼玉県比企郡吉見町にある松山城は、鎌倉時代末期に新田義貞の陣営として築かれた説もあるが、応永年間(1400年頃)に扇谷(おうぎがやつ)上杉氏の家臣である上田友直により本格的に築城されたのが始まりとされている。 戦国中期には、上杉氏、後北条氏、武田氏(後北条氏と同盟中)による激しい争奪戦が繰り広げられた事でも知られる。 更...

菅谷城

                              2015. 9. 6 埼玉県比企郡嵐山町にある菅谷城は菅谷館とも言われ、鎌倉幕府の有力御家人である畠山重忠が鎌倉街道の要衝の地である菅谷に館を築いたのが始まりとされる。 後に山内上杉氏と扇谷上杉氏とが争った頃に、河越城(扇谷上杉)の抑えとして、山内上杉氏が館跡を復興させ16世紀前半まで拠点として使っていた。 その後は、天文15年(1546年...

小倉城

                            2015. 9. 6小倉城は、埼玉県比企郡ときがわ町にある連郭式山城で、関東の城では珍しく石塁を随所に用いている事でも知られている。城主は、後北条氏の重臣であった遠山光影とする説と松山城主上田氏とする説がある。東下の麓にある大福寺から行けるらしいけど、少し南側に戻って城の南側からアタックを試みる。鳥瞰図を見ながら、このように進んでみたよ。登り口にある...