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杉山城 その②草刈り後

                                2015. 9. 20 再訪城に関する詳しい内容や地図は、こちらを参照して下さいね。 二週間前の草ボーボー状態も併せて見ていただければ、地元の方々達のご協力あってこその楽しい城旅だという事を実感できますね。 それと共に全国の城保存会の方々に感謝の気持ちでいっぱいです。そんなわけで、前回に来た時に草刈りをしていたので、二週間後に再訪問だよん。ま...

杉山城 その①草ボーボー

                            2015. 9. 6   スグに綺麗な城を見たい人はコチラ埼玉県比企郡嵐山町にある杉山城は、鎌倉街道を見下ろす丘陵の尾根上におよそ10の郭を配置した縄張りになっている。各郭は横堀や帯郭が取り囲み、塁線には折が連続する。更に木橋や土橋を用いた虎口には横矢掛かりが施されている。こうした高度な築城技術から後北条氏の城として認識されてきたが、それを裏付け...

一郷山城

                           2015 .8. 23 だけど、写真は2017. 1. 29一郷山城(いちごうやま)は、永享10年(1438)に起きた永享の乱で鎌倉公方と対立した関東管領山内上杉憲実が平井城の西の守りとして新堀城と共に築いたと言われている。戦国期は武田信玄により攻められている。信玄は麓の見銘寺の水の手を押さえて総攻撃する。これに対して城側も徹底抗戦し、大木や大石を落として対抗する。しかし...

小幡陣屋

                            2015.8.231615年織田信長の次男信雄は、大和宇陀藩3万石と上野甘楽郡2万石を与えられ、後に信雄の四男・信良が小幡藩を立藩する。この時、信雄自身は大和に入っている。七代藩主信邦の時に山県大弐の明和事件に連座して蟄居処分となり、信邦の後を継いだ養嗣子・信浮は出羽高畠藩へ移された。代わりに上野上里見藩より若年寄の松平忠恒が2万石で入る。そして4代目の...

後閑城

                             2015.8.23後閑城の歴史は不明な点も多いが、依田氏が15世紀頃に築城したと伝わる。その後新田景純が城を攻略して後閑氏を名乗るようになったという。後閑氏は早い時期から武田信玄に服属して先方衆として活躍していたようだ。武田滅亡後は兄弟が分かれて主を変えた為に両後閑と呼ばれた時期もあったが、最終的に後北条氏に従い小田原征伐と共に時代の幕を閉じたとい...

桐生城

                                2015.8.8 桐生城は柄杓山城とも言われ、室町初期に藤原姓足利系佐野氏一族の桐生国綱によって築かれた。 戦国期には、上杉氏や後北条氏に従いつつも、新田金山城の由良氏と抗争を繰り広げた。 桐生助綱が死去し、佐野昌綱の子親綱が桐生氏の養子として後を継ぐ。 しかし、佐野からの付家老が専横に振舞った為に桐生譜代の家臣団との間に...

高崎城

                             2015.8.16 高崎城は、和田城を大改修して近世城郭として築城された。和田城の歴史は古く平安末期に遡る。この地を治めた豪族の和田氏は戦国期には関東管領上杉氏に従っていたが反旗を翻し武田信玄に付いた。その為に上杉勢から度々攻められたが、よく耐え凌いだという。 武田氏が滅ぶと後北条氏に従い、小田原征伐により運命を共にした。和田城もその時...