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花園御岳城(はなぞのみたけじょう)

                         2016. 1. 17埼玉県寄居町にある花園御岳城は花園城の北西に位置し、花園城の背後を守るための支城として築れたようだ。花園城からも指呼の距離にあるので、一緒に訪城すると効率がいいね。まずは城山の南東側にある少林寺を目指す。そして広い少林寺駐車場に車を置いて、さて、レッツゴーだよん。本堂の左脇を進んで行く。すると円良田湖へと向かう遊歩道が山上へと延びてい...

花園城

                            2016. 1. 17埼玉県寄居町にある花園城は武蔵七党のひとつである猪俣(いのまた)党の藤田氏の居城と伝えられています。戦国期になると藤田氏は山内上杉氏の重臣として活躍していましたが、後北条氏により上杉氏が追われると当主であった藤田重利(後の康邦)は降伏し、後北条氏の軍門に降る事になります。このとき、北条氏康の四男・乙千代丸(氏邦)に娘・大福御前を娶...

川越城

                                2015. 9. 20埼玉県川越市にある川越城は、近世以降の名で川越城、中世の頃は河越城と分けて表記される事が多い。河越城は、室町期の古河公方と関東管領上杉氏の対立である享徳の乱の頃に、扇谷上杉の持朝が家宰である太田道真・道灌父子に築城させ自らが城主として納まったのが始まりとされる。享徳の乱以降に続く長享の乱では、本家筋の山内上杉氏と庶家の扇...

武州松山城

                                2015. 9. 20埼玉県比企郡吉見町にある松山城は、鎌倉時代末期に新田義貞の陣営として築かれた説もあるが、応永年間(1400年頃)に扇谷(おうぎがやつ)上杉氏の家臣である上田友直により本格的に築城されたのが始まりとされている。 戦国中期には、上杉氏、後北条氏、武田氏(後北条氏と同盟中)による激しい争奪戦が繰り広げられた事でも知られる。 更...

菅谷城

                              2015. 9. 6 埼玉県比企郡嵐山町にある菅谷城は菅谷館とも言われ、鎌倉幕府の有力御家人である畠山重忠が鎌倉街道の要衝の地である菅谷に館を築いたのが始まりとされる。 後に山内上杉氏と扇谷上杉氏とが争った頃に、河越城(扇谷上杉)の抑えとして、山内上杉氏が館跡を復興させ16世紀前半まで拠点として使っていた。 その後は、天文15年(1546年...