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松山城

                            2016. 5. 15群馬県高崎市下室田町にある松山城。天正10(1582)年、神流川の合戦に敗れ伊勢へ退去した滝川一益に替わり、後北条氏が西上州へ進出しました。松山城は、この時吾妻方面攻略の拠点として後北条氏の家臣である上田朝直の子信善により築かれました。城の名は、上田氏が武蔵国松山城主であったことにちなむと言われています。<高崎市>なるほど、なるほど。...

原城

                            2016. 5. 15群馬県高崎市上室田町にある原城。中世末期に雨堤の豪族長壁道観が賓将斎藤半兵衛竜政(斎藤道三の末流)と築いた館城と云われている。<現地案内板>南側から眺めた原城。段々の奥の緑の部分に深い堀が隠されているとの事。畑の横にある害獣防護電気柵を慎重に跨ぎながら南側から入ってみると、すぐに東西に延びる堀が出てきた。因みに左上が2郭となる。...

大明神山の砦(だいみょうじんやまのとりで)

                            2016. 5. 15群馬県高崎市倉渕町にある大明神山の砦。駒形城とも呼ばれ、戦国末期、真田昌幸が後北条勢の侵攻に備えて築かせたもので、烽火台としての役割をもっていたものであるという。東側を流れる烏川。小栗上野介処刑場、更にこの川を下って行くと高崎城や神流川合戦の地などがあり、歴史好きは震えるぅ・・・だね。(*^^*)というわけで、あの山が砦跡だ。麓にある...

三ノ倉城

                            2016. 5. 15群馬県高崎市倉渕町にある三ノ倉城は栗崎城とも呼ばれ、築城時期は定かではないが、この地を治めていた木部氏が延徳元年(1489)に全透院を開基したと云われるので、その頃に背後の山に築城されたものと思われる。永正年間(1504~1521)に北の地の大戸氏が侵攻してきてその所領としたが、武田家が滅亡し信長が横死すると後北条氏により攻められ、大戸氏は...

子王山城(こおうやまじょう)

                            2016. 4. 3群馬県藤岡市にある子王山城。平将門の家臣柴崎兵部景家により築城されたと伝わる。天文21年(1552)長尾景虎(後の謙信)の平井城奪回に際し、甥の長尾喜平次景勝が入城したとされ、喜平次の城とも呼ばれていたそうだ。ここに来たのには、実はある目的があったのである。麓にあるみはらし茶屋に車を置いて、早速スタートする。登りやすそうな階段が付...