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洗馬(せば)城

                            2015. 12. 13 築城時期や築城者は不明だが、応仁2年(1468年)に坂城の村上氏が海野氏の千葉城(せんば)を攻めていることが「諏訪御符礼之古書」に記されていて、この「千葉城」が洗馬城ではないかと思われる。   戦国期に武田晴信(後の信玄)が村上領に侵攻してくると、戸石城を攻略して足がかりを掛けた真田幸綱が褒賞として晴信からこの地一帯を貰い受け、洗...

打越(おっこし)城

                            2015. 12. 13城の北側から信綱寺辺りまでが居館を置いた内小屋と呼ばれ、その南側の東西に長く延びる低山の打越城により街道からは内小屋が見え辛くなっている。打越城は、横尾地区の尾引城とともにこの内小屋を守る重要な城だったようだ。古城緑地広場の西側にある東屋。黒門の案内に従って進む。小さな橋を渡って更に登って行く。正面に現れた神社。隣を見ると門があ...

根古屋(ねごや)城

                            2015. 12. 13根古屋城は天文年間(1532年~1555年)に村上氏により戸石城の支城として築かれたと云われる。 村上氏が武田氏に追われると、武田氏の家臣で山県昌景の与力となっていた大熊備前守朝秀の居城となった。天正10年(1582年)武田氏は織田信長によって攻め滅ぼされるが、大熊朝秀は最後まで武田勝頼のそばに仕えて天目山で殉死したという。その子、大熊常光は真田...

尾引城

                            2015. 12. 13築城年は定かではないが、この地を治めた横尾采女正の城として知られている。横尾采女正は応永7年(1400)信濃守護の小笠原氏と国衆たちとの間で起こった大塔合戦に祢津氏の配下として参戦して勝利を収めている。その後の戦国期には村上氏に属して上田原の合戦にて武田軍を破るが、采女正自身は討死している。その後真田幸綱の調略により武田方が村上...

戸石城

                            2015. 12. 13築城年は不明だが、真田氏の外城として築かれたのが始まりとされる。その後、信濃埴科郡を領する村上氏により小県郡・佐久郡への侵攻の重要拠点として大改修されたようだ。天文17年(1548年)2月の上田原の戦いにおいて武田晴信(後の信玄)は、村上方に敗れはしたが、同年7月の塩尻峠の戦いで小笠原氏を駆逐し、松本一帯を制圧した。それから2年の時を経...