戸石城

                            2015. 12. 13築城年は不明だが、真田氏の外城として築かれたのが始まりとされる。その後、信濃埴科郡を領する村上氏により小県郡・佐久郡への侵攻の重要拠点として大改修されたようだ。天文17年(1548年)2月の上田原の戦いにおいて武田晴信(後の信玄)は、村上方に敗れはしたが、同年7月の塩尻峠の戦いで小笠原氏を駆逐し、松本一帯を制圧した。それから2年の時を経...

羽田(はんだ)城

                            2015. 11. 29築城年は定かではないが、長野氏一族の羽田氏により築城されたと云われる。1562年に武田氏が西上野に侵攻してくると城主の羽田彦太郎は城を放棄し植栗城に逃げ込んだ為、武田氏は羽田城を接収し手子丸城主の浦野氏に与えた。国道406号通称草津街道を大戸の関を越えて長野原方面に進むと、県道377号線と枝分かれする。この県道をしばらく進むと、この空地が...

丸岩城

                            2015. 11. 29永禄年間に羽尾幸全により築かれたと言われるが定かではない。武田氏滅亡、更に信長の横死と続く激動の年の天正10年に、大戸から須賀尾峠を抜け長野原方面に侵攻しようとする後北条氏に対抗するため、真田氏はここに西吾妻の諸将を駐留させたと云われる。国道145号の真田道を長野方面へ向かって走っていると嫌でも目に飛び込んでくるキノコの形をした山...

羽根尾城

                            2015. 11. 29 戦国時代に信濃源氏、滋野氏の末裔羽尾幸全入道は羽根尾城を根拠として勢力を振るった。幸全の舎弟海野幸光(長門守)輝幸(能登守)兄弟、ともに武勇を謳われた豪の者で、永禄9年(1566)真田幸隆により幸光は岩櫃城代、輝幸は沼田城代にそれぞれ任ぜられたが、兄弟を妬む者の陰謀により真田昌幸の誤解を受け、幸光は岩櫃城で、輝幸は迦葉山の女...

鎌原城(かんばら)

                         2015. 11. 29 鎌原城は、吾妻川に断崖をめぐらす要害で岩櫃城、羽根尾城との攻防戦は、加沢記によって知られています。応永4(1397)年の築城と伝えられており、元和元(1615)年徳川幕府の「一国一城令」による破却まで、鎌原氏の居城として、戦国の歴史を秘めています。 南北400メートル、幅150メートルの城域があり、本丸・二の丸・三の丸・東曲輪・笹曲輪の五郭に分かれ、...