仙人窟(陣城)

                            2015. 11. 1天正十年、武田氏が織田信長により滅亡に追い込まれると、そのわずか三か月後に本能寺の変が起こり、信長も横死してしまう。屋台骨を失った織田四天王の滝川一益も窮地に陥り、旧領復帰を目指す後北条氏と神流川の合戦で対峙して敗れ去ってしまった。領主不在となった旧領地の沼田城と岩櫃城を素早く確保した真田昌幸は、沼田に矢沢頼綱、岩櫃に信幸を入れ...

手子丸城

                            2015. 11. 1築城年は定かではないが、永正年間(1504~1521)に信濃からこの地に移り住んだ浦野氏により築城されたようだ。浦野氏は滋野氏の流れを汲む一族で真田氏とも同族という事になる。ここに移り住んだ浦野氏は大戸氏を名乗り、戦国期には岩櫃城主斎藤憲広の妹を嫁に貰い姻戚関係を結ぶが、武田の家臣真田幸綱の岩櫃攻略の際に幸綱の調略に乗り、武田方に寝返っ...

同慶寺

                                2016. 9. 25宇都宮城の東に位置する飛山城。更にその東北東700mの所にある瑞龍山養徳院同慶寺。永仁年間(鎌倉時代)に芳賀高俊が建立したとされる臨済宗の寺で、境内には14基の五輪塔や宝篋印塔からなる芳賀氏累代の墓がある。ここには、堀や土塁そして井戸などが遺っており、城館として機能していたようで、飛山城の支城または高俊が飛山城を築城する...

飛山城

                            2015. 10. 18飛山城は、1293年に宇都宮氏の家臣芳賀高俊により築かれたのが始まりで、豊臣秀吉の宇都宮仕置きにおける不要な城の破却命令により、打ち壊しになるまで、300年もの間、芳賀氏の重要拠点として機能してきた。 芳賀氏は飛山城に居する間は清原氏を名乗ったと言われており、この清原姓が後の宇都宮市東部の地名『清原』となったと考えられているが、...

宇都宮城

                                2015. 10. 18関東七名城の一つに数えられる宇都宮城の歴史は古く、平安時代後期に藤原秀郷か藤原宗円による築城と言われている。藤原宗円は宇都宮氏の祖といわれ、源頼義・義家と共に奥州に遠征した前九年の役の功により、鬼怒川一帯の支配を許され、それ以降、宇都宮氏として鎌倉時代から戦国時代の終わる安土桃山時代まで、530年に渡ってこの地を治めていた...